3月例会は、港支部会員の榎本重秋さんを発表者に迎え開催されました。榎本さんは、今まで無かった障害者のための保険を作り、その普及に尽くしてきましたが、会社スタート時から困難の連続で、自身の無力さを痛感。何度もくじけそうになりながらも、必死に頑張って来ました。その経緯と,なぜ今日があるのか、貴重な体験談をお話しいただきます。
発表者プロフィール

ぜんち共済株式会社
榎本 重秋 氏
昭和40年町田市生まれ:53歳。
中学ではバスケ部キャプテン、高校時代は多少グレるも無事に卒業。
明治大学に進学。卒業後、平成元年にA保険会社に入社。12年勤務後Z保険会社に転身。平成16年脱サラして現在の会社「ぜんち共済株式会社」を設立。今日に至る。家族は妻と子供3人。
例会の始まりです


<会社設立の経緯>
これまで、障がいがある方々は保険への加入が難しいと言われていました。
ぜんち共済が提供する保険では、病気やケガの時の医療保障や死亡保障、その他にトラブルが起きた時の法律相談や弁護士委任費用の補償が可能な権利擁護費用保険金、個人賠償責任保険金があり、多くの方から支持を得て現在契約数は約4万5000件にのぼります。
外資系の損害保険会社で働いていた時、障がいのあるお子さんを持つ方から、お子さんが入れる保険が無くて困っていると相談を受けたのが、ぜんち共済の始まりです。
障がい者の方とその保護者が抱える不安を聞いて、保険で役に立ちたいという気持ちから、平成12年に「全国知的障がい者共済会」を立ち上げました。
同じように悩んでいる方の需要があり、契約数は発足から約6年で2万件ほどになった頃、法改正があり、廃業するか保険会社を設立するかという選択を迫られ、会社設立を決断しました。

しかし、保険会社の認可を受けるまでには本当にたいへんで、準備に2年間を費やし、人もお金も集まらず、その間は営業ができないのでお金は減っていく一方でした。もうダメだと思ったことも何度もありました。認可を受けるために、毎週新たな資料を作っては戻されるという事が繰り返されました。
解決策の見えない日々に、ついには心が病んで、駅のホームでうずくまることもあり、通勤途中に線路を眺めながら「飛び込んだら楽になるかな」とまで思いました。
しかし「約束を果たさなければ」という思いが、辛くても苦しくても背中を押し続けました。この頃,会社の創業期からのナンバー2社員と上手くいかなくなり、退社することになりました。これは今でも心が痛みます。
当時先輩や経営者仲間にアドバイスを求めて話を聞きに行っていた中で、同じく少額短期保険の会社を始めようとしている、財務や法務など5人のエキスパートチームと話す機会がありました。
しばらくして彼らが会社設立を断念したと聞き、手伝ってほしいと声をかけると、全員が賛同して設立に協力してくれました。
彼らのお蔭で無事に会社を設立でき、更に営業を開始してからも昔の仲間や友人たちが、アフター5の時間を使って事務仕事を手伝ってくれました。
ここまで来られたのは支えてくれた方々のお蔭です。本当に感謝しています。
世の中には、保険を必要とする人がまだたくさんいます。
私たちは障がい者保険のスペシャリストを目指すと同時に、本当に役立つ保険を提供できるよう、今後も努力し続けます。
そして、社員とその家族を幸せにできる、自分たちもお客様も幸せになれる会社を目指し、コツコツと身の丈に合った成長を続けたいと思っています。
◆ぜんち共済株式会社
http://www.z-kyosai.com/
討論会

自身が中心となり会社を作り上げる作業は、想像を絶する困難を伴います。駅のホームでうずくまることもあり、それを乗り越えて偉業を成し遂げた、ぜんち共済 榎本社長に沢山の質問が上がりました。しかし、私達のチームには現在のナンバー2の社員さんが参加していて、ほとんどその場で専門的なことまでお応えいただき、たいへん勉強になりました。全てお応えいただいたので、討論内容と質問をまとめるには逆にたいへんだったようです。(ほとんど討論にはならないので・・・)
今回の経営体験報告をはじめ、ほとんどの創業者の皆さんは「苦しい時期を耐え忍んで」成功に結び付けています。会社設立以来30年になる私は、若き経営者の皆さんの前向きな姿勢に、ただただ感心するばかり。積極果敢な若きチャレンジャーに今日も元気をいただきました。ありがとうございます。

支部長より金一封が授与されました。

最後に恒例の写真撮影です。“みんな良い顔してますね!”
品川支部広報委員 トーコ–アドサービス株式会社 高橋照治